Masuk「いらっしゃいませ」
私は、目の前の女性に椅子を勧めた。
「本日は、旦那様ですか? 彼氏様ですか?」
「彼氏です」
「かしこまりました」
私は新しい受付票を1枚取り出した。
右上に番号を書く。
002
女性は29歳。
佐々木奈々さん。
彼氏は31歳の会社員。
交際2年6か月。
結婚の話は、まだ出ていない。
私は赤いペンのキャップを外した。
受付番号:002
対象:彼氏
彼氏:31歳
彼女:29歳
交際期間:2年6か月
本日の罪状:未記入
常習性:確認中
彼女の我慢度:★★☆☆☆
本日の殺意:★☆☆☆☆
希望コース:未定
「ではまず――」
私はいつもの質問をした。
「今日、何をされました?」
奈々さんは少し考えた。
それから、困ったように言った。
「……何もされてないんです」
「何も?」
「はい」
彼女はバッグからスマートフォンを取り出し、テーブルの上に置いた。
「何も、返ってこないんです」
私は画面を見る。
3日前。
奈々さんから送られたメッセージ。
今週の日曜どうする?
その下には、
既読
の2文字。
返信はない。
「既読は、つくんです」
「はい」
「必ずつくんです」
「はい」
「でも返事が来るのは、だいたい3日後なんです」
私は受付票へ書いた。
本日の罪状:読む能力あり。返信能力なし。
奈々さんが覗き込む。
「……そう書くんですか?」
「現状、最も正確かと」
「でも、仕事が忙しい人なんです」
「なるほど」
「会ったら普通なんですよ。優しいし」
「はい」
「デートもします」
「はい」
「浮気してる感じもないし」
「はい」
「だから私が細かいのかなって」
出た。
私は赤いペンで、その言葉に丸をつけた。
「ちなみに、3日後には何と返ってきます?」
「『ごめん、忙しかった』とか」
「日曜日の予定については?」
「『どっちでもいいよ』」
私は一度、ペンを止めた。
「3日待たせて?」
「はい」
「『どっちでもいいよ』?」
「はい」
私は受付票の我慢度を書き直した。
★★☆☆☆ → ★★★☆☆
「あ」
奈々さんが言った。
「増えました?」
「こちらの判断です」
「まだあります」
「どうぞ」
彼女はスマートフォンを操作した。
「これ、先月です」
メッセージ。
今日ちょっと仕事で落ち込んでる。少し話せる?
既読。
返信なし。
翌日。
返信なし。
翌々日。
返信なし。
3日後。
ごめん!今見た!大丈夫?
私は画面を見た。
それから奈々さんを見る。
「既読は、当日についていますね」
「そこなんです!」
初めて奈々さんの声が大きくなった。
「見たんじゃん!」
「はい」
「見てるんです!」
「はい」
「なのに3日後に『今見た』って!」
私は受付票へ追記した。
追加罪状:既読履歴との供述不一致
奈々さんが吹き出した。
「供述って」
「記録ですので」
「あと、電話もそうです」
「出ない?」
「出ません」
「折り返しは?」
「翌日です」
「理由は?」
「『寝てた』とか」
「夜8時ですが?」
「はい」
「早寝ですね」
「絶対ゲームしてます」
私はさらに書き足す。
常習性:常習
主な症状:返信を未来の自分へ丸投げ
「でもね」
奈々さんが急に真顔になった。
「私が返信遅いと、すぐ来るんです」
「何が?」
彼女は画面を見せた。
寝た?
5分後。
忙しい?
さらに10分後。
なんかあった?
さらに5分後。
大丈夫?
私は受付票を見た。
それから、彼女を見る。
また受付票を見る。
本日の殺意:★☆☆☆☆
私は無言で、
★★★☆☆
にした。
「ちょっと待って」
奈々さんが笑いながら言った。
「急に増えすぎじゃないですか?」
「重要情報でしたので」
「でも、別れたいわけじゃないんです」
「はい」
「好きなんですよ」
「はい」
「会ってる時は本当に楽しいし」
「はい」
「だから余計に腹立つんです」
「なるほど」
奈々さんはスマートフォンをテーブルへ置いた。
「ただ一度でいいから」
「はい」
「私が待ってる3日間を、あいつにも味わわせたい」
私は受付票を閉じた。
「承知しました」
机の下から、黒い革張りのメニューブックを取り出す。
金色の文字。
WRITING KILL MENU
奈々さんが少し身を乗り出した。
私はページを開いた。
「では、本日のメニューをご案内します」
「いらっしゃいませ」受付番号:024高瀬由里、46歳。夫48歳。「今日、何をされました?」「“聞いてない”って言われました」娘の三者面談。妻。「来週木曜ね」夫。「うん」冷蔵庫のカレンダーにも記入。家族LINEにも送信。前日。妻。「明日だからね」夫。「了解」当日。「今日、会食入れちゃった」妻。「三者面談は?」夫。「聞いてない」私は赤ペンを置いた。「3回?」「3回」書く。本日の罪状:記憶から消えた情報を未通知扱い「他にも?」「粗大ゴミの日」「聞いてない」「義父の法事」「聞いてない」「エアコ
「友達の恵さんに聞きました」大野恵さん。Case 11。「美容院、行けたそうです」「それは何よりです」受付番号:023岡田沙也加、38歳。夫40歳。「今日、何をされました?」「何時に帰る?って聞かれました」妻が飲み会。夫。『何時に帰る?』美容院。『何時頃?』友達とランチ。『夕飯までには帰る?』「ご主人が外出する時は?」沙也加さんがスマホを見せる。夫。飲んでくる以上。「帰宅予定は?」「なし」「聞くと?」『まだ分かんない』「連絡は?」『今から帰る』時刻。23時48分。私は書いた。妻の外出:帰宅時刻申告制夫の外出:自由航行「心配してるだけだと思うんです」&n
「いらっしゃいませ」「本日は?」「夫です」受付番号:022橋本千秋、34歳。夫36歳。「今日、何をされました?」「ゴミを捨てました」「問題なさそうですが」「ゴミ箱が満杯だったんです」夫。ゴミを持つ。蓋を開ける。いっぱい。そこで袋を替える――のではなく。上から押す。ギュッ。「入った」私は書いた。本日の罪状:満杯を“まだ入る”と判定「翌朝は?」「また押す」「その次は?」「また押す」「最終的には?」「私が袋を引き抜こうとして、破れます」我慢度。★★☆☆☆ → ★★★☆☆「夫は何と?」「“袋弱くない?”」赤ペン。追加罪状:圧縮による破損を袋の強度
午前10時。私は昨日買ったばかりのノートを開いた。表紙には赤いペンで、予約と書いてある。記念すべき最初の名前。10:00 松本亜紀様ベルが鳴った。「いらっしゃいませ」少し不安そうな女性が入ってくる。「予約した松本です」「お待ちしておりました」言ってみる。少しだけ店らしくなった。「本日は、旦那様ですか? 彼氏様ですか?」「夫です」受付番号:021松本亜紀、40歳。夫42歳。結婚13年。「ではまず――今日、何をされました?」「醤油です」「醤油?」「昨日、肉じゃが作ったんです」「はい」夫が席につく。妻が肉じゃがを出す。夫は箸を持つ。そして一口も食べずに、醤油。ドボドボ。私は赤いペンを止めた。「味見は?」「してません」書く。本日の罪状:料理人への確認なく味を修正「肉じゃがだけ?」「カレーにはソース」「はい」「目玉焼きには醤油」「好みですね」「私が作ったパスタには、食べる前から粉チーズ」「なるほど」「昨日は言いました。“一口食べてからにして”って」「ご主人は?」「“俺、濃い味好きだから”」私は追記した。本人の味覚を絶対値として運用亜紀さんが笑う。「別に醤油かけてもいいんですよ」「はい」「でも食べてからにしてほしい」「はい」「3時間煮た肉じゃがを、一口も食べずに“修正”されると」少し黙る。「私の味、最初から信用されてないみたいで」私は黒いメニューを取り出した。「では本日は」「はい」「ご主人の味覚に、少し自信をなくしていただきましょう」Aコース『最初の3口・調味料使用禁止』「現実的」「まず料理そのものを味わっていただきます」Bコース『全料理・勝手に味変』ご主人が食べるものすべてに、他人が勝手に調味料を追加。寿司にケチャップ。ラーメンにジャム。プリンに醤油。「最後ひどい」「Bですので」そしてC。Cコース『完全書き殺し・調味料の逆襲』夫が調味料をかけるたび、その調味料が100倍になって返ってくる。「醤油なら?」「100倍」「ソース?」「100倍」「塩?」「非常に危険です」亜紀さんは少し迷う。「でも昨日、夫こう言いました」「何と?」「“味薄かったから足しただけ”」赤ペン。追加罪状:味見前に味の判定「Cですね」
「いらっしゃいませ」女性は紹介カードを差し出した。「佐藤美紀さんから」受付番号010。誕生日を忘れられた女性。「美紀さん、お元気ですか?」「旦那さん、今年は誕生日をスマホに3つ登録したらしいです」私は少し笑った。「それは何よりです」新しい受付票。【受付番号:020】中村由佳、42歳。夫44歳。結婚16年。子ども12歳、9歳。「ではまず――今日、何をされました?」由佳さんはスマートフォンを見せた。写真。旅行。運動会。誕生日。花見。水族館。夫。子ども。夫。子ども。夫。子ども。「奥様は?」「撮ってます」「写真を?」「はい」私は何枚も見る。由佳さんが写っている写真は、ほとんどない。「ご主人は撮られない?」「頼めば撮ります」「頼まなければ?」「撮りません」受付票。【本日の罪状:家族写真の撮影者を家族写真から消去】由佳さんが少し笑う。「罪状ってほどじゃないですよ」「今日は?」「娘がアルバム作ってたんです」学校の課題。“わたしの家族”。娘が言った。『ママの写真、全然ないね』そこで初めて気づいた。16年間。家族の思い出を撮ってきた。でも自分だけ、ほとんどそこにいない。「夫、悪くないんです」「はい」「私も“撮って”って言えばよかった」「はい」「でも」由佳さんはスマホを見た。「たまには言わなくても、“ママも入ろう”って言ってほしかった」私は受付票に、新しい欄を作った。【本日の寂しさ:★★★☆☆】「美紀さんと同じ欄ですね」「ご存じでした?」「聞きました」「個人情報ですね」「美紀さんが自分で喋ってました」それなら問題ない。私は黒いメニューを出した。「中村様」「はい」「今日は少しだけ」メニューを開く。「ご主人を、カメラの外側へ立たせてみましょう」……Aコース『家族専属カメラマン』次の1年間。家族行事では、夫が写真係。さらに毎回、「ママも入ろう」を1回以上言う。「これだけでいい」「まだAです」B。『夫だけ写らないアルバム』旅行。妻と子ども。夫だけいない。運動会。妻と子ども。夫だけいない。誕生日。妻と子ども。「夫は撮影?」「はい」「なるほど」C。『完全書き殺し・カメラの外側の男』人生のすべての大切な
「いらっしゃいませ」「本日は?」「夫です」【受付番号:019】長谷川麻子、38歳。夫40歳。「今日、何をされました?」「昨日18時25分にLINEが来ました」画面。『今から友達2人連れて帰るね』「今からとは?」「40分後でした」書く。【本日の罪状:自宅を40分前に宴会場登録】「事前相談は?」「なし」「ご自宅の状況は?」「洗濯物干してました」「夕食は?」「2人分」「服装は?」「部屋着」「ご主人は?」「“適当でいいよ”って」私はペンを止める。「何が?」「料理も部屋も」「適当にするのは?」「私」書く。【夫の“適当でいい”:妻への追加業務】麻子さんが机を叩いて笑う。「そう!」急いで洗濯物。トイレ。テーブル。料理追加。飲み物。夫帰宅。「ごめんねー」友人。「急にすみません」夫。「全然いいよ!」私はペンを置く。「誰が?」麻子さん。「ですよね」殺意。★★★★☆「夫、悪気ないんです」「はい」「友達に家を見せたいだけ」「はい」「でも、その家を“人を呼べる状態”にするの、誰?」私は黒いメニューを開いた。「今回は、その点を明確にしましょう」……Aコース『来客準備・夫完全担当』友人を呼びたいなら、掃除。料理。飲み物。片づけ。全て夫。「普通」「理想です」B。『40分前通知返し』夫がくつろぐたび、妻から、『今から10人行くね』「誰が?」「知らない人です」「怖い」C。『完全書き殺し・24時間営業、自宅居酒屋』ご主人の家が勝手に飲食店登録。24時間、客が入ってきます。「何人?」「満席になるまで」「閉店は?」「ありません」「Cで」「即決ですね」「昨日、夫、“うち気楽だからまた来てよ”って」赤ペン。【追加罪状:再来店許可を無断発行】「Cで間違いありません」「ですよね」……夫がソファで寝ている。ピンポーン。知らない男3人。「こんばんは!」「誰?」「友達の友達です」続いて5人。10人。20人。家中、人。冷蔵庫。「ビールない?」台所。「つまみ追加!」トイレ。行列。夫。「ちょっと待って!」客。「気使わなくていいよ!」「俺の家だよ!」玄関。看板。【長谷川居酒屋 24時間営業】「誰が出